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#01
ベイスターズ時代の
私にあった
理想と明確なビジョン

 私が横浜DeNAベイスターズから離れて、2年が経った。仕事に情熱を注いできた4年間。当時の習慣はなかなか抜けないものだ。
 11月。私はサーフトリップでインドネシアに行った。目的地であるメンタワイまでのトランジットで、パダンという島で一泊することとなった私は、すぐにこの島、インドネシアという国の空気を感じさせられた。
「インドネシアってバドミントンは有名だけど、サッカーも盛んな国だったな」
 宿泊したホテルからは偶然にもスタジアムが眺望できた。その日は、学生サッカーのナイトゲームだったらしく、水銀灯の光に照らし出された、オレンジともエンジとも表現できる色彩。インドネシアの国旗を想起させるスタジアムに観客が見えた。突然無性に体中がウズウズする。
 あそこに行ってみたい――。
 トランジットだったため長居することはできないが、パダンという島にあるスタジアム生で見てみたかった。朝、目が覚めても部屋の窓からそこを眺めてしまう自分がいる。衝動的に車を走らせ現地へ向かうと、なんということはない、ただの古いスタジアムだった。それでも私は、「何か日本のスタジアムに取り入れられる要素はないか?」と無意識に模索していた。
 どうやら、視察がいまだ癖になって抜けきれないらしいな――そんなことを独りごちたような気がする。
 ベイスターズ時代の私には理想があった。明確なビジョンがあった。
「横浜スタジアムをいつも満員にし、ベイスターズを地元から愛される球団にしたい」
「横浜スタジアムとベイスターズを、横浜のアイデンティティに、アイコンに、そしてランドマークにしたい」

 振り返れば、短くもあり、長かったような5年間だった。

to be continued

photo:Jun Ikeda

This week’s articles
#01 ベイスターズ時代の私にあった理想と明確なビジョン
#02 閑古鳥がなく昭和の野球場だったかつてのハマスタ
#03 私が蒔こうとしていたのは、「希望の種」だ
#04 ボールパークの視察を通じて還元したこと
#05 情熱があるからこそ人々の心に強く印象付けられる

Data

使用チーム 横浜DeNAベイスターズ
所在地 神奈川県横浜市中区
収容人数 28,966人
竣工 1978年
工費 約49億円

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