#04
ボールパークの
視察を通じて
還元したこと
私が正式にベイスターズの社長となった12年以降、本当に自分でも驚くほどいろんな場所へ行き、スタジアムやアリーナ―、スポーツイベントを視察した。
伝統あるヤンキー・スタジアムは、歴代選手のサインボールをスタジアム内に展示することで、球団の誇りを学んだ。ボルチモア・オリオールズのカムデン・ヤーズでは「カラー・コミュニケーション」という概念を知り、ベイスターズやハマスタの「横浜ブルー」構想の第一歩を刻むことができた。今では全席がブルー一色となり、ハマスタの外観もレンガ色からチームカラーに統一している。
独立リーグのベスページ・ボールパークの地域性に触れたことで、コミュニティボールパーク化への指針が明確になった。シカゴ・カブスのリグレー・フィールドでは、城下町のように地域と一体となった『街づくり』の重要性にも気づかせてもらった。
ファンやメディアのみなさんからすれば、当初、その歩みは信じられないことばかりだったかもしれない。人は変わることに、最初はあからさまに否定的で批判的だ。開拓していくことに関して、そういった軋轢が多数あるのは世の常だ。実際、最初の3年間は非難の声が多かったくらいだ。それでも、私の信念は揺らぐことなく、一歩、一歩、具現化できることを着実にしてきたつもりだ。
他にも、ボールパークの視察を通じて多くを学び、ハマスタに還元していった。
エキサイティングシートをはじめとした多様なシートの設置と、ハードの改修だけでなくソフトの改革を施した。ファンサービスや、イベント、パフォーマンスも大きく変革していった。観客にとって〝トイレタイム〟のイニング間がそうだ。「トイレにいつ行くべきか悩んでもらってしまうくらい、全イニング間を楽しい時間にパラダイムシフトさせよう」と、ハッピースターダンスや、ドッカーンフライキャッチを始めた。バズーカ車両は装飾を彩るために、誰もが「かっこいい」と唸るようなピックアプトラック、ホイールなどをアメリカから輸入。特撮用の車両などを手掛ける友人に最高の一台を制作してもらった。イニング間、その車両がバズーカを打ちまくる様は圧巻だった。
ハマスタのTOB(株式公開買付け)、株式会社横浜スタジアムとベイスターズの一体経営を目指していた私は、実現が近づいた頃からビールなどの飲食の改革にも乗り出した。ベルリンでの視察、コロラド・ロッキーズのクアーズ・フィールドから着想を得た「ベイスターズ・ラガー」「ベイスターズ・エール」。ミシュランで星を獲得したシェフと組んだ、「ベイカラ(唐揚げ)」なども大行列になった。野球とライフスタイルを融合させたショップ『+B』もオープンさせ、数々のアリーナ視察からサウンドや、LEDライトを駆使した様々な演出も積極的に導入するようになった。

yankee stadium

Oriole Park at Camden Yards

Bethpage Ballpark

Wrigley Field
photo:Jun Ikeda
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Data
使用チーム | 横浜DeNAベイスターズ |
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所在地 | 神奈川県横浜市中区 |
収容人数 | 28,966人 |
竣工 | 1978年 |
工費 | 約49億円 |