#03
私が蒔こうと
していたのは、
「希望の種」だ
新たな企業が球団を運営する。「ベイスターズを変えていきます」という意思をわかりやすく表現するのであれば、ベイスターズの経営とチームの改革とともに、ハードの象徴である「ザ・昭和の野球場」のハマスタを全体的に改修する。「ザ・日本プロ野球を代表するボールパーク」に進化させればいい――。そう考えるのは当然なのだろう。
しかし残念ながら、スタジアムの専門家でなければスポーツビジネスも素人だった当時の私には、そういった構想は全くなかった。経営の観点、自らの思い出から、「思い切ってアップデートしなくてはいけない。このままの横浜スタジアムではつまらない、お客さんを呼べない」と思っていただけだった。
球団代表になる前年の11年は、観客動員96万7017人。はっきり言って少なすぎる。7年も経ったハマスタを知るファンのみなさんにはとって、現在の佇まいを連想するかもしれないが、当時ハマスタは本当に閑古鳥が鳴くスタジアムだったのだ。その悲惨な光景を目にすれば、誰もが、当時のベイスターズは地域に親しまれる地元のプロ野球チームではなく、ハマスタは横浜のアイコン、アイデンティティ、ランドマークではなかったかを理解してもらえるはずである。
そこで、ハマスタをボールパークにする「コミュニティボールパーク化構想」を大々的に打ち出した。「観客を増やします。全試合満員にします!」と大風呂敷を広げたわけだ。私はできると確信していたし、本気だった。ところが、当時、他のプロ野球団から転職してきた野球ビジネスに見識のある人間から笑われたものである。
「絶対無理ですよ。できて年間の観客動員115万がいいとこじゃないですか?」
地域の経済界からも、「やったところで、ハマスタはガラガラのままだよ」と嘲笑された。「東京のよくわからないIT企業からきた若造社長」と思われ、お手並み拝見といったニュアンスたっぷりに見向きもしてくれなかった。地元の経営者たちは、ガラガラなハマスタを「宝」とは微塵も思っていなかったようで、みなとみらいにドーム球場を造ろう、新球場を造ろうと息巻いた。そんな好き勝手な騒ぎが数年間にも及んだものだ。横浜スタジアムの歴史、横浜の野球の歴史を理解していない。そう言わざるを得ない状況だった。
「歴史はお金では買えない」
これが私の原動力となった。新ドーム球場などと浮気を一切することなくハマスタのコミュニティボールパーク化構想を提唱する。
誰もが驚くほど進化させ、横浜の宝、地域のアイコン、アイデンティティ、ランドマークだと、横浜の野球を少しでも知る人全員に認識させようと心に決めていた。
だから私は、種を蒔こうと決めた。
私が打ち立てた壮大な提案を、ファンや地域に興味を持ってもらう。大勢の人がハマスタに来てくれるような仕掛けを、少しずつ取り入れていく。一つひとつに感動や共感が生まれることで、語り継いでもらえるはず。そんなハマスタのストーリーをみんなで創り上げたい――私が蒔こうとしていたのは、「希望の種」だった。
(社長就任直前に訪れたハマスタの様子) photo:Jun Ikeda
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Data
使用チーム | 横浜DeNAベイスターズ |
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所在地 | 神奈川県横浜市中区 |
収容人数 | 28,966人 |
竣工 | 1978年 |
工費 | 約49億円 |