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#02
憧憬にかられながら
街を駆け抜けた
キューバの地
最初にアメリカを訪れていたのだが、当時のキューバは国交が閉ざされた社会主義国家。言うまでもなく直行便はない。ジャマイカ経由でようやく現地に入ることができ、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブをはじめ、いくつものライブを鑑賞し、本場のモヒートも堪能できた。
バックパッカーだった私たちは当然お金がない。宿泊したホテルは古ぼけていて、お世辞にも快適とは言えなかった。客室はおそらく12階だったか。電気系統の故障とかでエレベーターが稼働しておらず、毎回、階段を上り下りする羽目になった。部屋のトイレも水をまともに流せないような有様だったが、それも今となってはいい思い出である。
そんな憧憬にかられながら、私はベイスターズの社長として再びキューバの地を踏み、そして、街を駆け抜けている。
アメ車は減り、様々な国の自動車が往来する。人々の暮らしは少しずつ変わってきているのだろう。だが、革命広場は当時のままだ。内務省のチェ・ゲバラ、情報通信省のカミーロ・シエンフェゴスの鉄で模られた大きな顔は、この地のシンボルとして息づいている。カストロ兄弟が出現する前から革命家として活動していた英雄、ホセ・マルティ記念博物館も悠然と構えられていた。
この頃のキューバは、すでに国交が緩和されていた。つまり、選手を獲得しやすくなったことになる。とはいえ、情報だけでは頼りない。だから私は、ドミニカでの視察を終えると直接、交渉に向かった。
photo:Jun Ikeda
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Data
使用チーム | レオネス・デ・インダストリアレス(CNS) |
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所在地 | キューバ共和国ハバナ |
収容人数 | 55,000人 |
竣工 | 1946年 |
工費 | 約200万ドル |