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#04
魅力あるスタジアムを
造るための
原点と言える場所

 思えば、リグレー・フィールドとハマスタとの環境もよく似ている。今や横浜の中心部となっているみなとみらいから少し離れた関内にあるボールパーク。
 「プロ野球のある街、横浜」
 「横浜と言えばハマスタ」
 そう呼ばれる街にしたいと、私の胸に熱が帯びる。
 私が少年野球をやっていた時代は、まだみなとみらいがなく、根岸線も桜木町までの運行もない。この一帯が栄え始めたのは、1989年に横浜博覧会の開催が決まってからで、それまでは「関内」だった。
 20年以上の年月が流れ、街の様相は変わった。ベイスターズに結果が伴わない、人気もないこともあってスタジアムは空席が目立つ。人が集まらないことで、近隣の飲食店も22時には閉店する――そんな状況だった。周辺を歩いても、ベイスターズ色が出ているのは優勝した98年に命名した相生町の「ベイスターズ通り」のみだった。
 「これじゃダメなんだ。ハマスタ近辺のどこを歩いてもベイスターズの旗が掲げられているような街じゃないと親しまれない」
 常盤町、住吉町、太田町……碁盤の目のように張り巡らされているハマスタ周辺をもっと、もっと巻き込んで、応援してもらおう――。私は「クラブベイスターズ」を組織化し、飲食店や商店会に交渉を続けた。
 「『クラブベイスターズ』の星のステッカーも店舗の入口に貼っていただけませんか? チームが勝った日には、ドリンク一杯だけでいいので値引きしてもらえませんか? そうしていただけるようなら、チームのホームページでお店を紹介させていただきます」
 まさに、草の根活動だった。1日、1か月、1年……月日が経つごとに協力してくれる店舗が増える。いつしか、私にも馴染みのレストランやバーもできた。「最近、ユニフォームを着たお客さんが増えてきたよ」。そんな声を聞くと、うれしくてたまらなくなった。
 リグレー・フィールドの視察は、ハマスタを魅力あるスタジアムにするための「原点」と言える場所だったのかもしれない。
 2015年、私は再びこの地を訪れた。
 近隣の整備はまだ成長段階だったが、降り注ぐ太陽に照らされた天然芝、外野フェンスのツタやビルの屋上シート……このボールパークは変わらず美しい。そういえば、リグレー・フィールドの照明設備は、メジャーリーグで最も遅く導入されたことを思い出した。その理由を当時のオーナー、フィリップ・リグレー氏は、このように説明していたという。
 「野球は太陽の下でやるものだろ」
 私は、改めてボールパークの源流を感じた。

> see you next week!

photo:Jun Ikeda

This week’s articles
#01 地元ファンはパブで飲むビールで士気を高める
#02 スタッフたちに浸透しているホスピタリティの概念
#03 企業経営と改革に必要なのは年齢ではなく情熱だ
#04 魅力あるスタジアムをつくるための原点と言える場所

Data

使用チーム シカゴ・カブス
所在地 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
収容人数 41649人
竣工 1914年
工費 25万ドル

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