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#01
記憶に残る
初めての
ドジャー・スタジアム

 1995年。バックパッカーだった19歳の私はロサンゼルスにいた。宿泊していたダウンタウンの安宿には、世界一周の旅をしている人など各国から〝同志〟が集まっていた。
 そのなかのひとりが、唐突に提案する。
 「なあ、ヒデオ・ノモを観に、ドジャー・スタジアムに行かないか?」
 当時、野球観戦や世界中のスタジアム、ボールパークにそれほど興味のなかった私ではあるが、「これも何かの縁かな」といった軽い気持ちで同行することにした。
 安宿に泊まるくらいだから、当然、タクシーを利用するお金はないし、バスの運賃もできるだけ切り詰めたい。それは、仲間も同じだった。だから、ダウンタウンからドジャー・スタジアムまで徒歩で向かったのだが、あの広大な丘陵地にたどり着くまで、とにかく遠かった。記憶は曖昧だが、確か15時くらいには出発した。到着したのが試合開始ギリギリだったはずであるから、およそ3時間は歩いたことになる。
 試合は最もチケット代が安い「トップデッキ」から観た。当時は「一番安くて、一番上の席」くらいの感覚だったが、そこからの眺望が豊かだと感じたことは、おぼろげに覚えている。それ以上に鮮烈だったのが、野茂英雄選手の活躍である。残念ながら、その試合でのパフォーマンスまでは記憶にないが、彼が周囲の反対を押し切ってメジャーリーグに挑戦し、センセーショナルなデビューを飾ったことは知っていた。
 「日本球界からいろいろ言われながらも挑戦して、成功しているなんてすげぇな」
 ただただ、敬意を抱くしかなかった。
 初めてのドジャー・スタジアムの記憶は、せいぜいこのくらいだ。

>> to be continued

photo:Jun Ikeda

This week’s articles
#01 記憶に残る初めてのドジャー・スタジアム
#02 チームの歴史がボールパークを成り立たせる
#03 ボールパークに足を運ぶという日常がある
#04 WBC決勝を観戦して知った本場の認知度
 

Data

使用チーム ロサンゼルス・ドジャース
所在地 アメリカ合衆国カリフォルニア州
収容人数 56,000人
竣工 1962年
工費 2,300万ドル

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